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昌徳宮とその周辺をご紹介します。昌徳宮は、韓国国内の宮殿の中でも創建時の姿を最も良く残していると言われ、多くの建造物と韓国の伝統造園技術を極めた庭園があります。また、自然の地形を可能な限り破損せずに人為的な建築物を自然と調和させて配置していることから、1997年に世界文化遺産に登録されました。正門にあたる敦化門は、大韓民国最古の門と言われています。また、敦化門をくぐった先にある錦川橋は大韓民国最古… 続きを見る »
1997年に世界文化遺産に登録された水原華城。その素晴らしさはお昼の部でもたくさんお話させていただきますが、ナイトツアーでは、ライトアップされた城郭や華城行宮のライトアップ、山の上からの夜景を楽しんでいただこうと思います。今年の行宮(ヘングン)のテーマは、月と花です。https://www.youtube.com/watch?v=DPubJ3CSGRc紹介動画https://www.youtube… 続きを見る »
先史時代に生まれて3千年間黙々と佇んできた支石墓は、早くから輝かしい文化を生み出した先人の才能と抜きんでた建築術、精神世界と強調心がうかがえる貴重な文化遺産です。世界の有名なドルメン(支石墓)にはイギリスのストーンヘンジ、フランスのカルナック、チリのモアイなどがありますが、世界の約40%の支石墓が韓国に存在するとも言われています。まだまだ知られていない、韓国の魅力、先史時代の驚くべき知恵を実際の巨… 続きを見る »
歴代の王と王妃の位牌を祀った宗廟は、特 別な国の祠堂であり、朝鮮王朝の基本をなしている場所です。1392 年に朝鮮を建国した太祖(テジョ)の李成桂(イ· ソンゲ)は、建国の 3 年後に、現在のソウルである漢陽(ハンヤン)に首都を移し て、最初に作ったところがこの宗廟です。厳かな建築美と共に朝 鮮時代から現在に至るまで約 6 百年の間、祭礼を行ってきた価値が認められ、 1995 年にユネスコ世界文化… 続きを見る »
全羅北道益山市王宮面に位置する王宮里遺跡は、百済末期の益山において政治、経済、文化の中心地であった王宮であり、扶余の泗沘とともに複都とされています。百済王宮は龍華山から連なる尾根の端にある低い丘陵の上に造成されました。1989年から行われた全面的な発掘調査により確認された内容によると、百済末期に王宮として造成され、一定期間使用された後、王宮の重要な建物を撤去して塔や金堂、講堂など寺院が建てられた複… 続きを見る »
ソドンヨで有名な百済の第30代王・武王が創建した百済最大の寺院。後期百済の仏教文化を花咲かせた益山市の彌勒寺址は、東西260メートル、南北640メールの百済最大の規模であり、韓国最古の石塔が聳え立っているお寺です。2019年3月に解体工事を完了し、一般に公開されましたが、その解体作業の際に驚くべきものが発見されました。なんと地中ではなく、石塔の意外なところから、お釈迦様の舎利が大事に保管されていて… 続きを見る »
百済(くだら)は約700年間にわたり古代朝鮮の南西部で存続した王国です。教科書で名前を聞いたことのある方も多いのではないでしょうか。日本との関わりは深く、聖徳太子の時代には多くの百済の人々が来日し、朝鮮半島の文化を持ち込んだと言われています。遺跡からは日本のみならず東アジア周辺の国々との交流があったことが分かっており、文化水準の高さなどが評価され2015年に世界遺産に登録されました。八つの構成資産… 続きを見る »
勢力争いに巻き込まれ、米びつの中で亡くなった父に対する孝情を果たし、風水上で最上の地に父の墓を移し、民のために改革政治を行おうとした正祖。彼の理想とは何だったのか。民を思う気持ち、母の還暦の最高の宴。様々なエピソードが伺える水原華城。彼の功績から農業改革が行われ、最高の築城建築によりもしここに都が移されていたならば、歴史が大きく変わっていたとも言われている華城について、学んでみませんか?「ウヨンウ… 続きを見る »